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荒穂神社

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荒穂神社

荒穂神社

瓊瓊杵尊 ほか六社

  由緒が古く、格式も高かった古社。
「日本三代実録」貞観2年(860)の頃に、荒穂天神の名で神階昇叙の記事がみえ、延喜5年(927)撰進の「延喜式」神名帳に社名がみえるいわゆる式内社(肥前国では4社)である。藩政時代は基肄郡上郷総社。明治6年郷社、昭和15年県社。
  戦前は基山村(町)産土神社とされていたが、現氏子は第4区・旧第3区の全戸。
  祭神については古来諸説があるが、民俗学上は原初は基肄山山頂のタマタマ石を磐座として農耕に恵みを与え豊穰をもたらす自然神・産霊神であると考えられている。
  貞享元年(1684)に書き上げの「荒穂神社縁起」においては、中 荒穂大明神、左一 下鴨大神、左二 八幡大神、右一 宝満大神、右二 春日大明神、右三 住吉大明神、以上六社としている。(現在は五十猛命を加えている。)
  創建については同縁起は、人皇第37代孝徳天皇の御代(645~654)松津(基肄)国造物部金連の末裔金村臣によるとしている。
  社殿は最初、基山山頂にあったが、戦国の兵火にかかって転々とし、現在地に造営されたのは貞享2年である。
  現社殿(流れ造り)は、拝殿は文政2年(1819)、社殿・中殿はともに安政5年(1858)の改建になる。
  神課は12人であった。
現行祭礼
1月1日元旦祭、2月19日春祭、7月19日夏祭、8月1日茅の輪・人形流し、秋分の日御神幸祭。
神幸
  江戸時代には祭礼日も多く、神幸は年3回行われていた。現在は年1回秋分の日に行われる。その日未明、神輿・供奉行列は本宮を発ち、御旅所の御仮殿に下る。
  ここで正午から神事、続いて芸能が奉納されたあと還幸、夕刻、再び芸能が奉納される。
  供奉行列は以前より簡略化されているが、芸能は奉納各地区の人々の誠意と基山町民俗芸能保存会の尽力により、つぎのとおり維持、奉納されている。
災払い(仁蓮時)、風流(西長野)、獅子舞(向平地・引地・辻・田中・一井木・水上)、狭箱、羽熊(不動時・南谷・才ノ上・旧陣屋) 〔供奉〕 楽(木山口)、御鉄砲(秋光・千塔)。
境内社 合祀社
名木・古木
ムクノキ(160年) クスノキ(410年) ヒノキ(260年) ヤマモガシ(110年) ※(樹齢推定)

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