今から1300年以上も前の古代に想いを馳せる。基山町の象徴、基山に築かれた「基肄城」の跡を歩こう。
基肄城(きいじょう)とは
7世紀後半、朝鮮半島では中国の唐と新羅(しらぎ)の連合軍が、百済(くだら)を滅ぼしました。その百済復興のため、日本は援軍を送る決断をしましたが大敗してしまいました。663年の白村江(はくすきのえ)の戦(たたかい)です。
このため、唐と新羅の連合軍が国内に攻めてくるかもしれないという緊迫した情勢が生まれ、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、後の天智天皇(てんじてんのう)は、大宰府防衛施設の建造を急ぎました。
こうして665年に築かれたのが基肄城です。百済高官の指導により築かれたこの朝鮮式山城は、大野城とともに我が国最古の山城といわれ、山全体の地形を使い周囲4キロに城壁を廻(めぐ)らす壮大なもので、今もその雄大さを感じることができます。
基肄城・史跡めぐり
基山山頂駐車場から、基肄城史跡をぐるりと巡るコースを紹介します。美しい眺望や森林の美味しい空気を楽しみながら史跡をめぐるハイキングです。所要時間は1時間半から2時間程度です。