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町のプロフィール

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月22日更新

基山町がめざす将来像 

 基山町がめざすまちの姿をキャッチフレーズとして掲げ、将来に向けたまちづくりを進めます。

kiyamaロゴきやまん&きやまる

「アイが大きい基山町」とは?(誇りと想い)

アイが大きい基山町とは [PDFファイル/1.01MB]

基山町は他よりちょっと「アイ」が大きいまちです

基山町のシンボル「きざん」が大きな誇りです。

人:基山町は「ひと」が大きな誇りです。

I(愛):基山町は「愛」が大きな恋人の聖地です。

i(information):基山パーキングエリアは九州に向けての基山情報の発信基地です。

+ideaで、住民のみなさんのアイデアであふれています。

基山町は、たくさんの人が集う「出会い(i)」のまちです。

基山町のすがた

 基山町は、佐賀県の東端に位置し、福岡県(筑紫野市・小郡市)、鳥栖市に接する面積22.15平方キロメートルの町です。

 古くから古代官道や長崎街道など主要道路が町域を通り、現在でも国道3号線、JR鹿児島本線、九州自動車道が縦走するなど交通の要衝地として発展してきました。

 また、古代から地形的な条件にも恵まれているため、丘陵部や平野部に人々が生活を営んでいたことを示す数多くの遺跡が残されています。
 弥生・古墳時代の遺跡からは、九州をはじめ各地域との交流を示す遺物が多く出土しています。

 天智4年(665年)には、大宰府防衛のため基山(きざん)に日本最古の朝鮮式の山城である「基肄(きい)城」が築かれ、この基肄城の麓には、大宰府から南下する古代官道の城の山道(きのやまみち)がありました。
 その古代官道が肥前国府と筑後国府へ分岐する基肄駅(現JR基山駅付近)には、他の駅の2倍の馬がおかれており、その当時から交通の要衝の地であったことがうかがえます。

 天正15年(1587年)に基肄郡と養父郡の東半分が小早川隆景(こばやかわ たかかげ)の所領となり、領域的な基礎が形成されました。さらに、慶長4年(1599年)には対馬島主 宗義智(そう よしとし)の所領となり、江戸時代を経て明治に至っています。
 
 明治維新後は、廃藩置県の実施により明治5年(1872年)に園部村・宮浦村・小倉村・長野村が設置されましたが、同22年(1889年)に市町村施行令により4村が合併し、基山村が誕生しました。

 その後、昭和14年(1939年)1月1日に町制を施行し、現在に至っています。